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2023.01.12
MANARA with編集部
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素敵なあの人を訪ねて 第8回 酒井 まゆ様
マナラビューティー 素敵なあの人を訪ねて 第8回
こんにちは
マナラビューティー編集部の水野那菜です!
マナラは女性の社会進出・活躍を応援しています。
今回は、東京都で児童発達支援をしている酒井様にインタビューしました。
酒井 まゆ様 profile
1970年生まれ。東京都出身。
長男を出産後3か月で難病の「重症筋無力症」を発症。その後離婚をし、カナダに渡る。現在は難病と闘いながら、小学生から高校生の児童発達支援のため、放課後などデイサービス「つぼみ」で管理者を務める。
難病の私が
我が子に伝えたいこと
ー難病、離婚、そして2児を抱えカナダへー
幸せからどん底へ
私は25歳で結婚、28歳で長男を出産しました。可愛い我が子をこの腕に抱いて、母になった時の感動を今でもよく覚えています。
しかしその3か月後、私は「重症筋無力症」という難病を発症。感知することはなく、どんどん筋肉が動かなくなっていつかは心臓すらも止まっていまう恐ろしい病気なのです。半年後、手術を受ける頃には階段を降りることも、口を閉じることもできない状態に。闘病と2人目の出産が重なり、いつの間にか家族は崩壊し、31歳で離婚をしました。
傷が深いほど強くなれる
闘病生活は本当につらかったのですが、代わりにたくさんの経験をすることが出来ました。病院には、私以上に大変な病気を抱えた患者さんばかりだったのに、みんなが私を思いやってくれるのです。そのとき「つらい病気を背負っているのに、相手の立場に立ってやさしく出来るだなんて…。なんて強いんだろう」と勇気づけられました。そんな周囲の支えもあって、6年目で日常生活が送れるまでに回復したのです。
子どもたちに広い視野を
難病を経てからは、子どもたちにも「たくさんの経験をしてほしい」と思うようにいなりました。その頃、妹がカナダに移住。数回遊びに行ったことがきっかけとなり、「私も子供たちとカナダに行こう!」と一大決心!当然「英語も話せないし、幼い子供2人を連れて何しに行くの?」と周囲から心配の声がありました。
でも、私は大人になる前に、子どもに広い視野を見せたかったのです。必死に働き資金を調達し、とうとう親も折れ、6歳の息子、4歳の娘とカナダに渡りました。日本は、自分の意見を主張しすぎず、空気を読む行動が好まれますが、カナダはその逆。意見を主張しないといないも同然なのです。子供たちは自分の意見を臆せず発信し、個性を大切に、のびのびとカナダで生活を送ってくれました。あの時の子供たちにとってベストなタイミングでカナダに行ったおかげか、日本に帰国してからも子供たちは強くたくましく生きてくれています。
病気のおかげで今の私がある
実は最近、「重症筋無力症」が再発し、現在も治療中です。しかし、子どもも手が離れたし、自分のやりたいことをなんでもやりたいと思い、今は児童発達支援の仕事をしています。この病気のおかげで私は強くなれました。これからも病気とうまく付き合っていきながら、強く自分のやりたいことに素直に生きていきたいと思います。